暮らしの動作を丁寧にすると聞こえてくるもの

わたし達は「考える」ということに慣れ過ぎてしまっているように感じます。


洗濯物を干しながら、今日いちにちのやることを考えたり。

ご飯をつくりながら誰かに言ってしまった一言。また誰かに言われた一言についてあれやこれやと考えたり。


心ここにあらずの状態。

かくいうわたしもその一人です。


でもあるときふと、お米を研いでいるときに気づいたことがありました。


それは、


わたしは「お米を研いでいる」ということに気づいたんです。


今まではお米を研ぐことってめんどくさい動作のうちの一つで、

あーめんどくさい めんどくさい

って思いながら乱暴に水をビャーって入れて、ガシャガシャかき混ぜて、どばーって水を入れていたんですけど(ガサツ)


それが、 お米を研ぐこと に意識を注いでみると、なんとまぁ180度違った感覚になりました。


水の冷たさとお米のザラザラした感触


ゆっくりかき混ぜたときに聞こえてくる音


そんなものがとっても愛おしいなぁ。と感じていました。


一瞬一瞬のいのちの煌めきは、いたるところに散らばっている。

それは、頭の中で考え事をしていると見えてこないものでした。


動作と、焦点をあてる場所をおなじにすると、はじめて見えてくるものでした。


洗濯物を干すときも、ごはんをつくるときも、おなじです。


太陽の光が肌に浸透していく感覚だったり、食材を切るときの音の様子だったり、お湯を沸騰させたときのポコポコいう音だったり。


いまおこなっていることにしっかり目をむけてみると、見えてくるもの・聞こえてくる音・感触があります。


それはいつもそこにありました。


でもわたしたちにとってはまったく新しい感覚かもしれません。



さぁ。きょうも素敵ないちにちをお過ごしください(   ´ ω `   )


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